チェスの起源についてのお話し

チェスに関わるお話し。

 

チェスの起源はインドのチャトランガと言われ、西洋でチェス、中国で象棋(シャンチー)日本で将棋とchで始まるのは偶然ではないといわれています。

蒙古人に「チェスの発明者は?」と聞くと「モンゴル人」と答えるそうですが、確かに、ボード上でチェッカーの様な遊びを開発したのはモンゴルの人かも知れないのです。

チェスの起源チャトランガは、サンスクリット語でチャトルは4つ、アンガは組、要素といった意味で、4つの軍隊という意味の合成語だそうだ。

 

古代インドの軍制が、象軍、騎兵隊、戦車隊、歩兵隊から成っているため、駒も、・象・馬・車・兵を形取ったものであると考えられている。

チェスでは、王(キング)・女王(クイーン・将)・僧(ビショップ・象)・騎士(ナイト)・城(ルーク・車)・兵(ポーン)となっている。スペインでは、ビショップを象と今でも呼んでいる。

将棋では、一説によると、王将(王)・金将(将)・銀将(象)・桂馬(馬)・香車(車)・歩兵(兵)と対応し、飛車・角行がオプションで付いているとも言われる。

通常であれば、飛車(ルーク)・角行(ビショップ)・桂馬(ナイト)に対応するとされている。

 

また、将棋(チェス)のそもそもの始まりは、サイコロを使う4人制の双六のようなボードゲームであった。

この、4人制のゲームとは、回遊式のボードゲームで、各回3個ずつ駒を進めることができる。それぞれの出発点から、最終的に真ん中に到達することを目標とするゲームであったと想像されています。

この4人制のチャトランガが2人制に編成されるときに、サイコロを使う必要性がなくなり、対戦頭脳ゲームになったと考えられています。

さて、ここで、この戦争ゲームともいえる2人制のチャトランガが作られたときの伝説をひとつ。

 

昔、戦争好きの王様がいて、いつも自分の力を頼んで、戦争ばかりしていました。弱り果てたのは王の下にいる人々です。王の圧政に苦しみました。

その民の困窮をみかねた賢者が、新しいゲームを考案して、王に献上しました。その新しいゲームというのが、2人制チャトランガだったのです。

王は、この戦争を擬したゲームに夢中になりました。そして、実際の戦争を止めてしまったのです。

民は喜びました。そして、国に平和が戻どり、豊かになったのです。

 

国が豊かになったのを見て、王様も喜びました。

王は、賢者に、「なにか、褒美はいらないか。」ともちかけました。

賢者は、それではと言い、「チェス盤の初めのマス目には米を一粒、次のマス目にはその倍、その次のマス目には更にその倍の米を。

そしてマス目ごとに倍、倍となるように64(チェス盤は8×8)のマス目まで続けていき、その盤上に相当する分だけ米をください。」と言いました。

王は、快諾しましたが、賢者の言うとおりに米をならべていくと皆が分かった事というのは、2の10乗でおよそ1000。2の64乗でおよそ10の19乗と莫大な量の米になります。

国中の米倉にある分ではとても足りない。

これを知った王様は、真っ青になりましたが、賢者は落ち着いて、「この様な無謀な約束をなさいますな。」と言ったそうである。

ところで、現在のチェスですが、このチェスが公式にルール化されたのはいつの頃でしょうか。時代は19世紀後半に制定されたのだそうです。

 

ルイス・キャロルが生きた時代だったのですね。

 

それと、中将棋や大将棋の情報がネット上では、得られます。時代は変わったものです。

チェスと将棋と囲碁の比較ですが、チェスにおける可能な局面はおよそ10の120乗であるのに対して、駒の再使用可能な将棋の場合は、およそ10の200乗。囲碁の局面の場合は、低く見積もっても10の300乗であると考えられています。

この選択肢の多様性が、囲碁が戦略ゲームの際たる物と考えられる所以であります。

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