何事につけても、大難が中難、中難が小難、小難が無難になることはあっても、大難は無難にはならないのです。
プロ野球の野村克也監督は、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し。」と述べています。
負ける場合には、当然に負ける要因があり、必然に近い状態で負ける。
不思議の勝ちは、自分のミスよりも、相手側が甚大なミスを犯した時に勝てる勝ちの事であろう。
確かに、棚ボタ式の勝ちは沢山場数を踏めばあるはあるでしょうが、実力のすべてではないのでしょう。
大難が中難、中難が小難、小難が無難を願う事は、先ず、自分の守りを固くして、堅忍自重する事なのでしょう。
他人の失敗に期待する事は、「株を守る」(韓非子)の諺もあるように成功を必ず約束をするものではないのでしょう。
先ずは、自分の守りを確かなものとして、一歩、一歩進んでいく姿勢が成功をもたらす最大の要因といえるのでしょう。
少なくとも、失敗は、小さなミスが誘発するものに過ぎないのですが、慢心や傲慢さに我を忘れていると、簡単に滅亡の時がやって来るに違いありません。
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