アニメ(ジブリ)の中の女性像

風の谷のナウシカの名前の由来はおそらく、ギリシャ神話のオッデッセイアに登場するナウシカヤからもらい受けたのでしょう。

ホメロスの叙事詩「オッデセイア」に登場する「ナウシカヤ」は、歌と竪琴を愛し、俊足で空想的で自然とたわむれることが好きな少女なのだそうであり、実際、漂着した、オデッセウスが血まみれの姿であったのにも関わらず、怖れずに助け出した姫君であったそうであります。

叙事詩オッデセイアのテーマは一言で言えば「貞節」であり。ナウシカヤの存在は物語の構成上は、オッデセウス夫妻に次ぐ重要な役割を与えられているといわれています。

 

風の谷のナウシカはおそらく、「デューン」砂の惑星に影響されてできたものでしょうが、なにしろ、世界の破滅後の世界や、エコロジーという大きなテーマの処理に少し苦しみすぎたようにも思えます。

映画放映当事はそこまでの理解は視聴側には無い筈なので難しい作品になってしまったのではないのでしょうか。

しかし、今になれば、レクイエム(ナウシカのレクイエム)の音楽に合わせてイメージするナウシカの姿は言い得る事のない様な印象を与えるのではないのでしょうか。

 

私は、ビデオ作品ではなくコミックに登場するクシャナ王女の姿が印象的です。

孤立無援のクシャナの元に危険を顧みずに集結しようとする子飼いの弟三軍の将兵の姿がクシャナの全てを物語るようで物語の正に圧巻。

Fate/Stay Nightのセイバーの姿(アーサー王)を2重映しするようです。

 

さて、天空の城ラピュタの「ラピュタ」はガリバー旅行記から貰い受けたようです。(作中でもパズーが言及しています)

空に浮かぶ島「ラピュタ」のイメージは宇宙戦艦ヤマトに登場する木星に浮かぶ浮遊大陸のイメージより遥かに古いものです。

 

「シータ」のイメージはもちろん、未来少年コナンの「ラナ」のイメージに重なる訳ですが、自分の運命や境遇が例えいかなるものであろうと、決然と(心の中では)生きて行く姿。

普通の女の子では決して耐えられることのできない様な苦難や試練があろうとしても、自己の信念を自分が今、なさなくては為らない事を、自分の体がたとえ砕けようともという思いで突き進んでいくような生き方が共感を呼ぶのではなのでしょうか。

 

天空の城ラピュタも、未来少年コナンもそして、ルパン3世「カリオストロの城」も「こんないいとは思わなかった」というのが見た一部の人の評価であったようです。

当時、普通の人はこの様な作品は見る機会は、TVの映画上映枠でしか無かったのだと思います。

しかし、テレビで再放送がなされたにせよ、徐々にビデオやDVDの普及などによって、その真価が問われる事になりました。

(9.11直後不況の時は一時そのビデオなども書店の店頭から消えていった様に思われます。)

 

どう考えても、この作品群が世界一のレベルだと言わざるを得ないのでしょう。

今後、より多様な、作品の芽がいくつも色々な所から出始めてきました。

もしかしたら、大変、楽しみなところではないのでしょうか。

「耳をすませば」については、中学生である雫がああいう生き方ができれば、おそらく最高の人生なのではないでしょうか。

雫と聖司がカントリーロードを歌うシーンはYueTubeの中にもいくつもあります。それだけ親しみのもてるシーンだということでしょうか。放映されている言語も様々なようです。

有り得そうで有り得ない人生。それとも、過ぎ去ってしまった古き記憶の世界なのでしょうか。「カントリーロード」の歌に載せた永遠のシーン。忘れ去ることの無い永遠の記憶。

 

この作品を作り切るのには、製作側の心理描写や人の心の機微をつかむ力がなによりも巧みなのでしょう。

人生、どう、生きようと正解などはないのですが、人と人との繋がりや生き様などはこの様な物語の様でありたいと思うものであります。

ソースネクスト
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